もともとお客様のホームページの御紹介を目的に始めたリンク集でしたが、最近は自分の興味深く感じるウェブサイト、何故か引き寄せられてしまうサイトへにリンクが増えました。 それもそのはず、もうインターネットは始めてから早十年も経過したのですから、変化するのは当たり前の事であるし、変化してこそ生きて暮らしている証しだと思います。

 政治、経済、世間の事なぞが多くなりそうですが、新聞テレビ学校には相当騙されていた、騙され続けていたのに遅ればせながら気付いたせいもあると思っています。 何故か腑に落ちない、どうもおかしいと感じつつ解明できなかった事もインターネットの御蔭でわかりつつあるのは確かです。 但し、提供される情報が正しいかどうかもよくよく考えなければならないのも確かで、インターネットもやはり一つのメディアですので、目的あって書かれているサイトもかなりあるのも間違いなしのはずですから。

 この仕事も始まったからには止まらない、行くところまで行ってしまうのでしょう。 それでもいくらかは役に立つものであった欲しいと念願しております。

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いなかもの日記 

 と言う題ですが、内容はしっかり、無知な私にもわかりやすく書かれています。 二つほど気になる言葉を引用しておきます。 今日(こんにち)生活するのに一番気になるお金の事、紙幣と言う印刷物の事について書かれていますが、その他もろもろ気になる事ばかしです。 物々交換と較べたらとんでもないほど便利な紙幣ですが、この金が人を苦しめたり、殺したり、泣かしたりするのも確かで、どうしてそんな事になっちまうのか、あるところまで解明出来ているのではないかと言う感じも受けました。

☆ 銀行の本当の仕事  最大のポイントは「信用創造」というマジック なにかしら,耳に優しい言葉ですから,だまされますね. 最近の政治家が国民をだますやり方(*)そっくりで昔からそうなんでしょう.

☆ 中央銀行システムは世界最大,史上最大のウソです. 「大きなうそほど人は信じる」まったく正しい格言.

 続いてまた金融、銀行に関するサイトです、自分は全くの無知でしたので興味津々で、鈍い頭も少しは機敏になりそうです。 そうだったのか、知らなかったと納得する事があり、目から鱗が落ちた感じもしています。 俺は無知蒙昧でずっと騙されていたのか。 おらが親の世代、一昔前にはおら以上の無知も多く「○○銀行さん」なんて、さん付けなんかしてたっけ。 自分の親でも「立派な背広を着て、支店長お代理様」云々を聞いた事があったっけ。 ●●師ほどそんな風に格好をつけるに決まってる。(*^_^*)

百式の「民間銀行」サギシステムをたたけ

 やはり金融、金に関するサイトで面白いのを見つけました。 「年金と言う金融」についてですが、読んで行きますと、見ても見なくても払へと言うNHKのあやしさも増して来るし腹も立って来る。 その他諸々の投稿があって新聞不用となりそうででして、真相に少し近づけそうです。 進んで行きますと「国家」と言うものにも当然の事疑念を抱くようになる。

年金が国家ぐるみのネズミ講って、本当?


 色々と調べているうちに「学校 教育 詐欺」と言うキーワードを入力したら、こんなサイトがありました。 「教育」を「狂育」と言う字を当てていますが、ズバリ同感と言う感じです。 中でも気になる二つの言葉を下に掲載しておきます。 自然の成長を歪め、都合のいい型にはめてしまう。 自分の子供の頃の学校嫌いや苦悩苦悶もここに原因があったのかとはっとしました。 みんなが被害者とならざるを得ない、おっそろしい事です。 もともと医療に関してのサイトですが、こちらもやはり「医療マフィア」についてかなりの情報があります。 

 論語に之有り「三軍可奪師也、匹夫不可奪志也」、「三軍も師を奪うべし、匹夫も志を奪うべからざるなり」。

  本当の目的は家畜奴隷国家を作るため

  過去の優れたものはすべて能動的な人間によって生み出されている

自然悟性を絶対に認めない 狂育マフィアたちの暗躍

 知れば知るほど恐ろしくなる世の中ですが、今日まで辛うじて無事で来られたのは奇跡かもしれないと、胸を撫で下ろしたくらいです。

 さてここまでのウェブサイトを読んで来ますと、目くらましに大役を果たしているのが、学校とマスメディア・マスコミと言う事になるのですが、そうしますと「学校は行くべからず、新聞は取るべからず、テレビは見るべからず」と言っても過言ではなくなるのですが、現状を暮らしていくのに、それでは通り難いもの確かですので、困ってしまう。 実行すれば「変りもの扱い」され実生活は悲惨になってしまうのも確実でしょう。

 それではさらに追求してみましょう。(-_-;) 追求して実行可能ないい道はないかを探ってみましょう。

 「二宮尊徳翁夜話(やわ) 一三九」に下に引用したお言葉があります。 江戸時代も現在と根本は変る事なしと思いますので、参考にされ一読百読されたし。 野菜が成る、果物が成る、花が成る、事がある、皆同じなり。

 「凡世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし
 

 自分の疑念は広がり深まる一方でして、次に好んで使われる「民主主義、多数決」等々につきて検証したい。 自分は「多数決」は「多数のケツはくせぇーかな」と思って久しいのですが、・・。

  民主主義とは美名であるが、これは同時に『多数決による暴力装置』である。と言う意見を見つけてしまいました。 ウェブサイトの内容はクリックされ御自分で御判断下さい。 自分はやはり「多数のケツは臭せぇーかな」で十分でして、悪臭を嗅ぎ取っています。 あの匂いのに好きな人もいるかもしれない。(*^_^*)   

 冗談をこいてしまいましたが、当たらずと言えども遠からずのはずです。 新聞テレビを使ってある特定の人を悪者扱いし、悪者に仕立てあげる。 そうすると庶民は「あいつはワルだ」と言う事になって洗脳されてします。 選挙でも同じ事が起こる、「郵政民営化だ、民営化だ」と叫んで優性になった事もありました。 要は郵便貯金を持ってけと言うのが目的だったそうです。 

 ともかく多数を集める為には何でもする、洗脳なんかは当然。 大衆の画一性を好む特性を利用する。 実に恐ろしい。 多数ケツ、何だかわからない言葉よりも、昔からある「多勢に無勢」がその性格を正確に表現しているはずです。

 最近では「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と叫んでたのも居たのですが、海外に格安労働力がある限り、雇用なんぞは増えるはずがない。 要はもっと奴隷の如く働く奴を増やせと言っているように聞こえました。 おらは耳までいかれてるんかもしれない。 地下鉄のトイレ掃除を働き盛りの男がやっているのを見かけましたが、あれも雇用を増やした事にはなるのでしょうが、自分の目には耐えがたく気の毒に感じらてしまった。 御本人達の心情はわかりませんし、測りかねます。

 アテナイ・アテネのあのソクラテス先生は「雄弁術」には叶わない、相手をしても仕方が無いとの事で自ら毒杯をあおった。 そしてアテナイゆえに当てない旅に立ったとか。(*^_^*) 民主主義、多数決の恐ろしさは無辜(むこ)の人を殺してしまう事だって出来るのだぞ。

 ここでおさらいしておきましょう。 「多数のケツは臭かった」、学校でも教えて欲しい「多数のケツは臭かった」。

  本日、平成二十二年十一月一日・2010年、を以って長年付き合って来ました新聞取りを止めてしまいました。 さて時間があればあっちこっちのウェブサイトをノゾキしているのですが、この記念日にふさわしいのでしょうか、恐ろしい意見をも見つけてしまいました。

 「現在まで何十年と続いた日本の縮図は、端的に言えば、 政治、経済、国民生活を「私物化」=「税金の奪取、奪い合い」。

 この伏魔殿が特別会計予算=特殊法人・財団法人、社団法人、年金特会、外為特会 などなのであろう。」

 今は亡き自分の両親は所謂善良な庶民であり、悪意なく親切で意地も悪くなく、他人を騙すなどと言う事とは無縁で、義理固く律儀な人達でした。 この事を自分は喜んで感謝しているのですが、そうであったなればこそ、支払いについては律儀過ぎるくらいでした。 ですの税金は勿論、新聞代からNHK放送受信料を言われるままに払ってそれほど楽な暮らしもせずに逝ってしまったと言っても過言でないかもしれない。 少し大袈裟か、健康と極道息子に護られていたせいか、いくらかは楽な生活をしたかもしれない。(*^_^*)

 使われ方は違うのですが、「母屋でおかゆをすすりながら、離れではすき焼きを喰っている」と言った人がいましたが、「おかゆをすすってとは今時ありえずにすき焼きだって食いました」が、庶民(多くの人)はそう言っても当たらずと言えども遠からずと言う状況でしょうか。 あるところでは有り余る金を集めておいしく分配して、その争奪戦が●●●●●●だったりして。 そりゃそうだ、銀行預金、郵便貯金、簡易保険等々の他人(ひと)の財布に手を突っ込んで、挙句に借金を返すのにまた借金か増税か。 多重債務と変らないのですが、取立てがないのが特徴ですか。

 このサイトは何処へ行くかわからない、暗中模索で当てもなし。 さてこれまでの事ですが、「さかしら」の跋扈する人の世とと言ってもいいのですが、「さかしらの跋扈」と書きましたが、何も今更始まった訳でなく、文字なきわが国に文字が輸入されてからずっとですが、今日ではまた姿形を変えただけなのでしょう。

 ここで歌を挿入して爽やかな風を通しましょう。 そうでもしないと頭がおかしくなりそうです。 序でにカレンダーから撮影して画の写真も入れてみましたので、一息入れましょう。  この画にふさわしい歌を丁度思い浮かびましたの加えます。

   

                  

 しばらく休んでいましたが、また書き付ける気持ちが起きましたので続けたい。 何かのきっかけが自分に感慨を起こす。 今日は久しぶりに、十年ぶりくらいだろうか、地下鉄を日本橋で下りて用足しを済ませて、そのまま中央通り(銀座通り)を京橋を通り銀座まで歩いて来ましたが、層々たる企業が中央通りに面しているのですが、その多くは所謂老舗企業でして、江戸時代からやっているところも当然あるのですが、うちみいたな零細企業がこの巨大企業、老舗企業の乱立する中で、よくもまぁー三十八年もやって来られたとつくづく思い知らされました。

 もしからしたら所謂「花の咲かない枯れススキ」で終わっていたかもしれなかったのですが、インターネットの出現とともに開花できたと言っても過言ではない。 今まで抑えられて発揮する事さえも許されなかった力ががある時期から一気に噴出したとも言えます。 そうインターネットは語弊もありますが、さえぎるところがなく、直接の取引が可能となったからでして、相手の担当者が変ったり方針が変ったり気分が変ったリに、風の吹き回しに右往左往される事もなく、自分の努力と工夫がそのまま反映出来る時代となったからです。 自分に取っては天機到来、千載一遇と言うべき時節の風を捕らえて、追い風に帆を挙げたのでしょう。 

 始めた当時は当惑するばかしでしたが、ある時期を過ぎてからは多少でも周りの雰囲気を実感できるようになりました。 下地はすでに出来ていたのですが、パソコンに触った事もなかった者がインターネットに入ってしまいました。 検索エンジンもわからず、どうやったら営業できるかも皆目わからずに進んでしまったのでして、当時の苦衷は今でもまざまざと思い出して、冷や汗を掻く時もあるくらいです。 あれからもう十年も過ぎてしまいました。

 今は学校流行(はやり)でして、誰しも学歴を欲しがり資格を求める。 それを以って出来るだけ好条件の会社や役所に勤める。 それは社会が求めている事でもあり、その社会に順応しようとするのであればで当然の事のはずです。

 自分は十五歳くらいから学校嫌いが始まり、始末に終えなくなったのは十七八くらいだったはずです。 学校の悪臭を当時はブタ小屋くらいに思ったはずでした。 今にして思えば、学校の画一性、欺瞞、風潮を直感してしまったのでしょう。 そう言うわけでして世知辛き世を徒手空拳で渡ろうとしたのですから、その悲惨は言うに及ばず。 しかもそれほど欲が深くなく淡々と出来たくらいでした。

 読書は好きでして、当時でも夢中になれたのですが、学校の勉強となると居眠りがして、行きたくなくなってしまいました。 この事も今にして思えば、中江藤樹、荻生徂徠、本居宣長、二宮尊徳に至る、学問(まなびとう)を実践した人達、すなわち「道」を求めて実践した人達の資質・血脈(けちみゃく)に繋がっているのかもしれない。 今の世はそんな事は許さない、そんな事は馬鹿げていると思われるはずです。 ただただ頭に詰め込んだ知識が有用とされている。 だから学歴となってしまう。

 さて自分に取りましては「学問」とは実に気楽なものでして、何かこうではないかああではないかと煩悶し問い、いつしかはたと合点する事がありますが、それが学問だと思っていますので、特に読書が必要とは思わない。 書も必要な事は必要ですが、ある時にある言葉に触れて感動して涙をこぼした事がありました。 これぞ「道」なりと感じました。

 そのお言葉を引用します、少し長いかもしませんが、三読くらいすれば慣れるはずです。

 (それ)誠の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚へ、書籍(シヨジヤク)もなく記録もなく、師匠もなく、而して人々自得して忘れず、是(コレ)ぞ誠の道の本体なる、 渇して飲み飢(ウヘ)て食(クラ)ひ、労(ツカ)れていねさめて起く、皆此(コノ)(ルイ)なり

 古歌に「水鳥(ミヅトリ)のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり」といへるが如し、夫(ソレ)記録もなく、書籍(シヨジヤク)もなく、学ばず習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり、

 夫(それ)我教(ワガオシヘ)は書籍を尊まず、故に天地(テンチ)を以て経文とす、予(ワ)が歌に「音もなくかもなく常に天地(アメツチ)は書かざる経をくりかへしつ ゝ」とよめり、 此(カク)のごとく日々、繰返し繰返してしめさるゝ、天地の経文に誠の道は明らかなり、掛(カカ)る尊き天地の経文を外(ホカ)にして、書籍の上に道を求(モトム)る、学者輩(ハイ)の論説は取らざるなり、

 能(ヨク)々目を開(ヒラキ)て、天地の経文を拝見し、之を誠にするの道を尋ぬべきなり、夫(それ)世界横の平(タイラ)は水面を至れりとす、竪(タテ)の直(スグ)は、垂針(サゲブリ)を至れりとす、凡(およそ)(かく)の如き万古動かぬ物あればこそ、地球の測量も出来るなれ、 是を外にして測量の術(ジユツ)あらむや、 暦道の表(ヒヨウ)を立てゝ景(カゲ)を測るの法、 算術の九々の如き、 皆自然の規(ノリ)にして万古不易(エキ)の物なり、此物によりてこそ、天文も考ふべく 暦法をも算すべけれ、此物を外にせばいかなる智者といへども、 術を施すに方なからん、 夫(それ)我道も又然(シカ)り、天言(モノ)いはず、而して、四時(しいじ)行はれ百物成る処の、 不書の経文、不言の教戒、則(スナハチ)米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦の実法(ミノ)るが如き、万古不易の道理により、誠の道に基きて之を誠にするの勤(ツトメ)をなすべきなり」

 「学ばず習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり。」、信念に貫かれた強いお言葉です。 二宮尊徳翁のお言葉です。 そう誠の道は学校なんかでは教えないし教えられない。 自得する道です、自得するしか出来ない道です。 料理なんかも自分で失敗し工夫して体で覚える、これです、これです。

      

  いつだかに詠んだのですが、自分の気持ちが率直に表れていると思われますので掲載してみました。 「朝日に匂ふ山櫻花は勿論本居宣長様の歌の一部ですが、朝日に匂う櫻を眺めている気持ち、穏やかな、ほのぼのとした、それこそ生き生きとし平穏そのものではありませんか。 言葉で言葉にならない気持ちの表現と言っても差し支えないでしょう。

 これにああだこうだと解説を加えて答えを求め点数を与えるようなのが学校であるとすれば、そんなものはなくなっても構わないはずです、 感じとる事、数年先あるいは数十年先でもしかと感じ取れる種を植えるのが学問の第一歩と考えている次第です。

 さて横道に反れてしまいましたが、最近あるサイトで「日本の学校はバカの養成機関であり、意図的にバカを量産している言うサイトを見つけてしまいました。 ちょと誘導広告が多く癖があるかもしれないサイトですが、色々と格差社会について解明を試みているのは確かです。 無貯金世帯(50万円は貯金としない)が増えているそうでして、銀行はカードローンと言う高利の広告も派手にやっている時代ですので、そう言う需要が増えているのでしょう、それとも煽って高利貸付を増やしているのか。 おらが無金利同然で預金(貸付)している金を使って高利貸しか。(-_-;)

 ・・・・ 続く、時間があり気分が乗ったらまた書きます。 書きたくなったら書きます。

 12月13日朝方に悪夢を見てしまいまして、丁度目の覚める頃とその夢の為とで起きました。 起きてからしばらくはおかしな気持ちとなり、一日中その事から離れられない。 忘れよう忘れようとして、今の多忙でほとんど忘れて去ってしまったような日々を暮らしていましたが、突然自分の不遇の時代の一コマが夢となって再現される。 誰かの名前を呼んだのは覚えていますが、その名前は思い出せない。

 口には出せないような時代があったのですが、今でも汗をかいてしまうような時代でした。 二度とあって欲しくないような境遇に置かれて、そこからなかなか脱せない。 今にしてみれば、そう言う時代があったなればこそ、今日不屈不断の努力の日々を過ごせるのでと思います。 今日の自分の原動力の源泉かもしれません。

 「かわいい子には旅をさせろ、苦労をさせろ」と言い伝えがありますが、確かにそう言う道も通らなければ今日の自分はないのでしょうけれど、惨めで過酷で二度とそんな思いをしたくない。 その一念が今日の自分の暮らしを支えているのは確かです。

 先日帰りの電車で泥酔して椅子に寝転んで、しまいにはそのまま小便を垂れ流した人を見かけてしまいましたが、生きる事に疲れ切ってしまったのか。 自分も泥酔した事はあっても、小便を寝たまま人前で垂れる事だけはなかった。 そう、恥ずかしいなどと言う羞恥心もどこかへ吹き飛んでしまったような暮らしをされて来たのでしょうか。 その気持ちも痛くわかるような気がしました。 泥酔ばかししたく暮らしを続けたら、まもなく体を壊してしまうはずです、そんな事は百も承知でもそうせざるを得ない。 仕事がないのか、借金苦か、人と人の軋轢(あつれき)に嫌気が差し耐えらなくなったか。 目前にそう言う人を見まして、今更に自分の恵まれている姿を感じました。 普段は愚痴が多いのですが、こうして今日元気で丈夫でさほど不自由もなく暮らせている自分の仕合せを感じました。

 少し休んだのでふと思い出した事があります。 生きていれば百歳にはなる叔父さんが戦争で外地でマラリアにかかり、亡くなるまで思い出したようにマラリアの高熱に悩まされた、亡くなったお袋はある時期までサイレンを聞いたり大きな音を聞くと東京大空襲やその前の「空襲警報」と勘違いしていました。 恐ろしい事、みじめな事、悲惨な事、過酷な事は忘れずにまた目を覚まし人を苛(さいな)む。 自分の悪夢も同じなのでしょう。 人間が誕生して以来同様なはずです、そう人間は造られている。

 うれしくば忘るることもありなましつらきぞ長き形見なりけする」 C原深養父

 つらきぞ長き形見なりける」や、そう、いつまでも姿を現すのが「つらき事」です。 忘れようとして忘れ果てたが如き暮らしの中にまた突如として顔を出す。

 ・・・・・続く

  ある時に見つけて自分の「お気に入り」に入れているウェブサイトですが、最近ノゾキましたら、下に引用の文句がありました。 

 国家とは何でしょうか。皆さんは国家を見たことがありません。

 『国旗や国歌がある事は知っていますが、肝心の国家を全く知りません。 国民は国家のために戦争に駆りだされ、命を捨てた事はありますが、国家によって守られた事はありません。
もうお分かりでしょう。 皆さんが見てきた国家は、特権を維持させる仕組みの事です。 国民を利用し、虐げる力で自らを浮揚させている者達の総合力です。 (内弁慶)だから正体がありません。』

 このファイルに手を付き始めた時にすぐに浮かんだ疑問でしたが、ここまであっちこっち迷って、また最初の疑問にたどり着いてしまいました。 冒頭でお断りしておきましたが、それぞれのサイトの内容にそれぞれの癖があるのは当たり前でして、みんなが一様では面白くない。 内容の判断はご自分でじっくりとどうぞ。

 今は亡き自分の両親は大正生まれでしたので、丁度戦前戦中戦後に若い時を過ごした。 父親は戦争へ行かずには済んだのですが、両親とも戦争と時代に翻弄され尽したと言っても過言ではない。 東京大空襲を生き延び、御蔭で今日の自分がある訳ですが、戦前戦中戦後の苦労は想像を絶するところがあったはずです。 空襲で焼け出された放り出され、あっちこっちを転々。 僅かな資産でも失ったものは戻る事なく、特に住居には苦労したはずです。 

 あの戦争で三百万人くらいが犠牲となったそうですが、その家族親族を含めれば一千万人くらいに災いが及んだと想像しています。 色々のサイトを調べていますと、どうしてあんな事になってしまったのか、色々の意見があるのですが、どうも江戸末期に黒船が来た頃に、その災いの種が蒔かれていたような感じを受けますが、もっと以前のフランシスコザビエルが来た頃から、災いの種は蒔かれたとする人もいます。

 わが国の西洋文明を受け入れ方はすさまじいものがあったはずです。 その基盤は江戸時代にすでにしっかりと出来ていたはずでして、漢語を洋語に代えればいいだけの事で、江戸時代の読み書きの普及は当時でも世界一だったはずですので、容易に消化出来たはずです。 勿論、見知らぬ文明を受け入れるのですが、当時の苦労は言うの及ばず。 自分がインターネットに入りこんだ時の苦労の何百倍に相当するはずです。

 さて上の「国家とは何でしょう」との文句は実は噂となって三度目の当選ままらなず落選してしまった「阿久根市長」のブログにあるのですが、出る杭は打たれると言うが如く、まさに打たれてしまいました。 何事も当たり前の事をしようとすると、それが通れない。 ままにならない憂き世かなと言うところですが、しかし陰に隠れていたところに光を当てたのは確かでして、人間七転び八起きの気力を持続して欲しいものです。

 自分の住んでいるところでも、大量の退職者の退職金を県債を発行して調達する、銀行は取りっぱぐれがないし、融資が増える。 住民にそのつけを廻せばいいだけ、ケツを拭かせる。 ない袖は触れないはずですが、無い袖も触ってしまう。(*^_^*) 変な人権主張ばかしが優先される。 二十万円しか収入がないのに五十万円の暮らしを続けるのと同じです。 理不尽極りなし。

 こうしてあっちこっちで関心が起きたサイトを覗いていますと、どうも見えざる「闇の勢力」みたいなものを実感するようになって来ました。 その勢力の手先や子分となって動くものは高い収入が約束されているようです。

 今は表面上は身分制度みたいなものはないのですが、陰の身分制度はあるのは確かでしょう。 こう言う事を解明ししようとするサイトがありますので、また下に引用しリンクしてみました。

☆ 支配者階級
国際エリート銀行家、多国籍企業の経営者、王侯・貴族から成る、人口の1%にも満たない特権者。
 執行者階級
支配者階級の利益を守るため、それなりの“報酬”を与えられて特権者の意思を実行する代理人。
☆ 奴隷階級
社会の大多数を占める、支配者階級・執行者階級を支えるよう教化された働き蜂集団。
☆ 不可触民
社会に寄与しない底辺層。彼らには必要最低限なモノが与えられ、大抵は無視される。

 今日収入が高いとされている人達は金融関係、マスメディア関係、教育関連、///・・・////////・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 大体皆の衆が知っている通りです。 塗りつぶし部分の想像は自由です。 上に引用の階級では赤い星に属すはずです。 庶民は「奴隷階級」、フリーター、ホームレス、弱者や生活保護世帯は「不可触民」に属す。 零細企業もそうでしょう。 「不可触民」とは触れるのも嫌だ、だけれどこの都合のいい社会を維持するには発生してしまう、仕方がないから面倒をみてやる。

 さて三番目の「奴隷階級」に「教化された働き蜂集団」とありますが、教化するには「学校」は不可欠でありますので、学校の先生がやけい優遇される理由もお解かりなはずです。 生徒に嘘を教える為のはずです。 だから民主主義が馬鹿に言いように教え込む。 学校で教えて欲しいのは「多数のケツは臭かった」でして、覚えやいのでぜひどうぞ。(*^_^*) 全国に響いて欲しい、「多数のケツは臭かった」。(*^_^*)

 戦争中は「軍国少年」を育て上げ、戦後派は「奴隷用少年少女」を作り上げ、嘘八百の新聞を読め読めと言う、しかもテレビに夢中にさせ、テレビゲームにうつつをぬかす時代が果たして繁栄か。 重要な事から関心を逸らすためにプロパガンダとし思えない。 学歴と資格の烙印を押され足枷(あしかせ)をつけられているが、気が付く人が少な過ぎるだけの事です。

 見方によれば、みなの衆が犠牲者と言っても過言ではありますまい。

 競馬みたく鼻の差でも勝ちは勝ちとなってしまう、上に述べた市長選でもたった八百票くらいの差だったそうでして、どうも操作可能な数字みたく感じてしまいます。 そんで民主的に決まった云々を叫ぶ。 無効票のトリックについても時間があったら調べましょう。

 息抜きにここで演歌の歌詞を、この歌詞と歌が好きでたまに歌っています。(*^_^*) 母親の介護に四年ほどかかわりましたが、介護保険サービスもまさにこの歌詞の通りでした。 この事は後日また書きましょう。 一言で言えば「粗悪ぼったくり」サービス、これは経験しないとわからない事で、自分の貴重な経験をそのうちにまとめましょう。 参考になる人も多いかもしれない。

♪何から何まで真っ暗闇よ。 筋の通らぬ事ばかり。 右を向いても左を見ても馬鹿と阿呆の絡み合い。 どこに男の夢がある。♪

・・・・・・・ある本に「時勢或いは興諭に深い疑いを抱いた」とありましたが、・・・・続く

 突然ですが、あるサイトに興味深い記事が掲載されていましたので引用したい。 「無縁社会」についての投稿への書き込みにありました。

 「日本社会を弱体化させるには、家庭を消滅させればいい」 「我々の私有軍事企業を儲けさせるのには、税金で取ればいい。それを倍増させる為に、家庭にいる女達を残らず働かせよう(そして戦争で侵略だ)」 「そして、家庭から投げ出された子供は”かぎっ子”となり、その子の教育は、完全に我々政府=資本家の思うままとなる」 (※「やがて人類は、カネの亡者となるだろう」某議定書より)

 資本主義は、民主主義ではない。 資本主義は、金持ちだけが、あらゆる自由を満喫し、跋扈できるようにする仕組みだ。 だから、一般金持ちは、民営化という資本家による自由は賛美しても、民主主義社会は狂った様に否定する。

 誰も無縁社会でいいなどと思う人はいない。 今の無縁社会は、計画的に、強制される様に仕組まれたものなのだ。  生産(労働)と分配(所得)のシステムを、根本的に変え、新しい社会を作ることは、今まで以上に、人類の文明社会を、加速度的に発展させることになる。 その青写真は、既に描かれ始めている。

 

  さて自分なりに色々とサイトを調べて来ましたが、平成二十三年三月十一日のあの大地震、大津波に続く福島原発事故をきっかけに心境がかなり変わりました。 と言うよりも引き締まったと言うのが適当かもしれません。

 明日はわが身のと言う死を思った生(しょう)ばかしが頭に浮かぶ、ようようまともな気持ちになったのでしょう。

     −−−−−− 続く 次のページへ −−−−−